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母の日 〜 mather's day〜

母に感謝する日。5月の第2日曜日

『母の日』の本当の由来

現在、母へ感謝をする日となっている『母の日』。

実は、母親への感謝だけではなく、平和を願う母親たちの社会運動を記念したものとしてスタートし、それが政治やビジネスの力で歪められてしまったという事実をご存知でしょうか。

 

優れた社会運動家だった母親

『母の日』の提唱者はアンナという女性。

アンナの母、ミセス・ジャービスは、1852年に牧師と結婚しました。
そして、1858年に「Mothers' Day Work Club」を結成し、病気で苦しんでいる人を助けるために募金活動をしたり、病気予防のための食品検査や公衆衛生の活動をするなど、社会運動家として活躍していました。

南北戦争(1861年〜65年)が開戦すると、中立を宣言して南北双方の兵士を看病し、互いの敵意をなくそうと「Mother's Friendship Day」を企画して南北双方の兵士や地域の人々を招いたイベントを大成功させるなど、平和を願って献身的に働きました。

彼女自身、戦争や病気で8人の子供を失っているのですが、母としての愛情を、残された自分の子供(娘2人)だけでなく全ての人々に注いだのです。

女性が社会的弱者だった当時、こうした母親としての社会活動は大変意義のあるものであり、社会改革に大きく貢献しました。

 

本当の理念と、歪められていく「母の日」

こうして平和を願って献身的に活動してきたミセス・ジャービスだからこそ、その追悼式が社会的に注目されたのでした。(この式で娘のアンナが白いカーネーションを参加者に配ったのです)
そして1914年、アンナの“すべての母親の社会に対する貢献を讃えて「母の日」を祝日にする活動”が身を結びました。

ところが、こうした素晴らしい理念が消費文化の中で歪められていきます。
政治的、商業的思惑によって“平和を祈る”はずの母の日が、“家族のために尽力している母にプレゼント(カーネーション)を贈る日”になり、年々盛大になっていきました。

やがてアンナは、白いカーネーションが信じられない程の高値で売られていることをきっかけに「貪欲のために母の日を侮辱している」と母の日行事の差し止め裁判を起こしますが、結果は敗訴。
その後、母の日の商業化がますます加速していきました。

晩年のアンナがこんなことを言っています。
「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによって、お母さんの恩に報いたかった」と。

 

 なぜカーネーションが母の日のシンボルなのか?

アンナの母ミセス・ジャービスがカーネーションを好んだことからきていますが、もともと、カーネーションは“母と子”や“母性愛”の象徴とされている花です。

カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙から生じた花だと言われています。

 白いカーネーション・・・十字架にかけられる前のキリストとマリアを象徴
 赤いカーネーション・・・キリストの体から散った血の色や復活したキリストを象徴

 

自分の胸に飾る花から、母へ贈る花へ変化

ミセス・ジャービスの追悼式では参加者に白いカーネーションを渡していましたが、その後アンナの提案で、母の存命する者は赤いカーネーションを、母を亡くした者は白いカーネーションを自分の胸につけるようになり、これが慣習化していったそうです。

しかし、いつしか母にカーネーションを贈るようになっていきました。

 

カーネーションの色

実は日本では戦後「全国未亡人団体協議会」などが中心となって赤・白の造花のカーネーションを販売していましたが、母のいる子は赤、ない子は白、と区別をつけることで童心を傷つける懸念や、義母に育てられた子の迷いなどに配慮し、1960年からは同協議会でも赤一色に統一されたそうです。

 


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